by 遠山 峰輝
by 遠山 峰輝
by 遠山 峰輝
UPDATE
2021.08.30
私が、これから医療経営に関して勉強しようとする人や外国人などに、マクロ的に日本の医療の実態をわかりやすく伝える場合に、必ず話す内容が「広く薄い医療提供体制」である。ブログなので正確性は勘弁して頂くとして、日本は、人口当たり病院数、ベッド数、高度医療機器台数は世界一であるが、医師や看護師などは世界(OECD諸国)でも最下位に近い。つまり、医療資源が薄く広く分散しているわけである。これは医療の質の低下と非効率を生み出す。病院数やベッド数が広く分散していれば、当然社会コストが上がる。一つ一つの規模が小さくなる、物を届けるにしても、日本全国津々浦々である必要がある。また、質の低下に関しては救急医療を思い浮かべるとわかりやすい。例えば救急医師が2名いて、それが2病院に1人ずつ分散している場合と、1病院に2名集中している場合を考えてみる。1名ではできないが、2名ならできることは多いだろう。クリティカルマスという言葉がある。最低限必要な量という概念である。例えば、救急医療が成り立つには最低限必要な規模があり、それ以下の規模で分散させると、全てが成り立たずゼロになるということである。資源が全て無駄遣いになるということだ。
コロナ禍の医療提供体制の問題は、この広く薄い日本の医療体制がまさに「見える化」(露見)してしまったと考えることができる。弊社が支援している多くの病院でもコロナの患者を受け入れているが、どこもちょっとずつ。数名単位である。日本全国、おそらく、このちょっとだけ受け入れている病院が数多く分散している。専門人材、各種特殊医療機器、必要な環境整備などを考えれば、医療提供体制は集中化すべきであることは言うまでもないだろう。しかし、政府はコロナの受け入れ要請を多くの病院にお願いするに留まり(補助金をばらまき)、コロナ専門病院(特化集中)を作るということが中々進まない。なんのための都立病院、なんのための公立病院なのかと思う。こういうときのために自治体病院が存在しているのではないのかと思う。それこそ、都立病院一つをコロナ病院として、その病院に元入院していた患者は別の都立病院へ移動させるべきだと思う。
一方で自宅療養患者が増えているという。これに対してオンライン診療も行われているが、これもどうも納得がいかない。オンライン診療を行っているのは、開業医など普段、近隣の自宅療養高齢者を訪問している医師がほとんどであると思う。しかし、オンライン診療に距離は関係ない。ましてや自宅療養のコロナ患者は、普段在宅医療を受けている高齢者ではない。ならば、「コロナ在宅医療監視センター(仮称)」のようなものを一つ作り、そこに医師なりの資源を集中すべきではないか。オンラインなのに地元密着的な医師の配置はおかしい。もちろん、何かあった場合に医師が駆けつける機能は大事であるが、これとオンライン診療や監視の機能は切り分けて考えることができるだろう。とにかく、集中化が苦手な国、それが日本だ。
遠山峰輝